お守り神社の目的
脱不幸、これが目的です。
脱不幸を解決するための方法、手段を考え調べ提供することが当山お守り神社(神仏習合店)の目的です。せっかく物凄い確率で、この世に生を受けたのですから楽しく生きなければ損です。

嫌いな現在を変えることも、捨て去ることも、とても難しいことです。であるならば共存していくことが望ましいのです。共存して時を稼いでいるうちに、もしかしたら明確な答えが出てきたり、生まれるかもしれないのです。
私達はなぜ生まれてきたのでしょうか?なぜこの世に存在しているのでしょうか?考えても分からないし、種の保存という誠に自然な出来事の結果で、この世は形成されているのです。種の保存のために、奇跡、偶然、必然の「同一神」が、快楽という禁断の果実を私達人間に与えたのです。この果実を食べるために人間は、日々生きてきたのです。
生きるため、ただ生きるために全てが有り、その副産物として、種の保存が有ります。まず私たち個人の幸せ(脱不幸)が一番の目的であり目標なのです。それが達成出来てからの、種の保存なのです。
「生きる」、これが本当に辛く大変なことは「ここ」を見ている人には、わかることと思います。生きるためには食事と睡眠が必要です。食事の元となる食品は、お金が無くては買えません。睡眠をとるには安心して眠れる場所が必要です。この環境を確保し生活ができているだけで、本当に幸せなことなのです。食事と居場所を維持するために人は社会に出て、すさまじいストレスと対峙(戦い)しているのです。
ある学問所の教科書には、さかんに悟りのことが記されていました。悟れば、救われ幸福になり全ての悩みから解放、解脱できるのだと。しかし現実問題、生きるための食費や、学問所に収める学費は悟りを得て(なった気がしていても)も賄えません。全てが上手くいくはずの悟りなのにです。心で「人生全てを解ったと」酔いしれたとしても、生活費や学費は湧いて出てこないのです。であるならば、悟りとは何でしょう?悟りそのものがとても難しいのもので、もし悟れてもその後はどうするの?と日々答えを求める毎日が続くだけです。

ブッダガヤで悟りを得たブッタ(ゴータマ・シッダールタ)でさえ80歳の時、長い旅に出なければならなくなりました。これは戦乱の気配を感じた結果なのです。平和の大事さを説くために、小国を巡回し、命を賭して歩いたのです。この時のブッタさんの気持ちは苦悩と不安、辛さに苛まれていたはずです。・・・え? これではブッタさん、貴方は本当に悟ったのですか?悟れば全ての苦悩から解放されるのでは??? 悟れば、「自己との闘い」以外の戦争なんて、知らぬが仏で良いでしょうと、投げかけたくなります。
このように悟りとか幸福は一時的なものであり、そこを目指し堪能しつつ次に備えなくてはなりません。備えるということは幸福平和な状態ですから、まずはそこを目指すわけです。それこそ脱不幸です。幸福平和な人はここを見る確率は低いでしょう。
見ている人は、恐らく脱不幸を望む人がほとんどでしょう。もちろん次に備える幸福な人が見ていることもあるでしょう。人間としてこの世に生を受けたなら、とりあえず精一杯生きてみることです。せっかく物凄い確率でこの世に出てきたのですから、楽しまなければ損なのです。よしんば楽しまなくても、死にゆく最後の時までに生まれてきて良かったと思えるような生き方が大事なのです。
脱不幸とは、つかの間であっても心に不愉快な思いが浮かばない時間を持てている状態のときです。そして未来に希望がもてる喜びが沸き上がってもきます。生きようとする思いが湧いてくる瞬間でもあります。人生最後の死にゆく瞬間、「感謝」が脳裏を横切る走馬灯を見たときも脱不幸達成です。
お守りを持つことで自分の心に余裕が生まれ、難局時冷静に対処でき、良くも悪くも納得できた・・・これが大事なのです。
その瞬間を皆様に感じていただくためだけに、このお守り神社は存在、活動しているのです。
私達人間は、縁という繋がりと、意味ある生存でこの世に生きとし生けているのです。
綺麗ごとで現実をぼかすことを、当山お守り神社では良しとしません。まずは個人(自分と家族まで)の脱不幸(幸せ)が目的です。その脱不幸を達成したなら、その期間に、他の方(家族以外の人)の幸せ(脱不幸)の手伝いをするのです。個人(自分と家族まで)の脱不幸を達成できない人が、他人の脱不幸の手助けなどできないのです。共倒れになる事疑いなしです。二兎を追う者は一兎をも得ずの格言は、本当に的を射てます。
先ずは個人(自分と家族まで)の脱不幸(幸せ)が大前提です。仏教でいうところの小乗仏教ですが、皆を幸せにするためには個人の幸せからが、当山お守り神社の格言です。
せっかくこの世に生を得たのですから、辛くとも生き抜き、他の人に幸せを与えられるような生き方をしようではありませんか。そのための辛さを最小限に抑えるお手伝いが、ここお守り神社です。