霊符の印刷、手書きに対しての考察
色々な考えがある案件です。古の作法に則り、手書きで念を入れた霊符でなければ効果は無いという考えもあります。しかし寺社等で売られているお札の類は、ほぼ全てが印刷により作成されています。このお札類に効果効能は無いのでしょうか?無いわけが無いのです。そのお札を授かったという安心感がもたらす効果効能は、絶大なものがあるのです。
このことは霊符にもいえることです。勉学に勤しみ徳を積んだ偉い方が手書きした霊符(手書きしたものを印刷複製したのを含む)と、PCにより作成印刷された霊符のどちらが霊験あらたかで効果効能があるのかは、当山お守り神社では遜色ないものと考えております。

霊符のデザイン(図形)そのものに意味があるのであって、作成する方(人)に意味があるのでは無いからです。霊符によっては色とか材質に色々注釈のあるものもあります。書き順に至っては、事細かに指示されているのが殆んどです。作法を守り、御魂入れ(みたまいれ)や開眼法を施した手書き霊符と印刷の霊符にどこまで差異があるのかなんて、まったく実証されていないのです。これは占い等でもいえます。効果効能や占いが当たった等の確認作業が、この業界でいい加減にされてきたことの弊害です。実証するための追跡調査は、現代の通信システムをもってしても本当に困難で大変なのです。多くの人員を必要とし、莫大なお金が必要になります。
そして何より検証には時間がかかるのです。短期的に願いが叶った、病気が平癒したという証言を追跡調査するだけでも相当な手間がかかります。重要なのは、お守り霊符類を所持してからの人生と、亡くなる間際が幸せだったのか?ということです。その観点からも、ひと一人の実証だけで現代では60年くらいが必要です。それを何百人、何千人と観察し統計をとったという研究事例は無いのです。
作成方法の違いが効果効能をまがえることなどなく、デザインの多少の違い(作成された方の降霊状態で違う場合もある)もそれ程気にする必要はありません。別々の古書に書かれている同じ符が、線一つ多かったり少なかったりしているのが現実です。
印刷された霊符と手書きの霊符で効果効能に違いが出るか?は、当山お守り神社では殆ど無いと確信しております。しかし少しだけ違いが出るとすれば、手書きで作成されてる方の心根が美しければ、美しいなりの効果が出るでしょう。手書きで作成されてる方の心根が黒く、他を批判ばかりしていればそのような符になるでしょう。ただそれだけの事です。
印刷がダメとか、手書きが良いではなく、邂逅(かいこう)、縁が大事なのです。縁があったお守りや霊符を心から信じ、大事にすることで道は開けるはずです。何で縁があったのかは、仏や神のみぞ知る深淵な配慮でしょう。私たち人間は縁の狭間に存在し、縁無くして生存はあり得ないのです。程々の努力と実行で、後は霊符に任せましょう。
