脱不幸になるため、「仕事、恋愛、常識、法律、占い、宗教、哲学」がある。そしてお守りがある。


この世に生を受けたなら、幸せでなくては意味がありません。幸せの定義は人それぞれですが、基本的に辛いのは頂けません。しかし辛いことから脱却のため、他人の幸せを奪うことは例外を除いて駄目です。
「お守り神社の目的」で記しましたが、生まれてきたなら出来うる限り、楽しく生き抜くことが大事なのです。

ここを見ている人の大半が、生きることは辛く苦しいと感じていると思われます。しかし辛く苦しい毎日があってこその幸せなのです。幸せだけの人生(本来これが一番良いのですが)なら、本当の幸せは感じられないのです。辛さ、苦しさを知ってこその幸せなのです。

今、苦しい人はここを乗り越えるためだけに、全知能、全運動を使うのです。後の事を考える必要はありません。今を乗り越えることだけに集中し、全知能を使うのです。

病気で苦しい人なら、自らが一時的な医者になることです。
理不尽な出来事で苦しむなら、自らが一時的な弁護士になることです。

現代において、知識という情報はいとも簡単に得る事ができるのです。自らの立場において必要不可欠な知識情報を収集し、病いの克服、トラブル回避に専心努力するのです。

 
 知識情報収集


それから、誰かにすがる勇気も時に必要です。

意地とか見栄のために、甘えられないのはとても損なことです。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥にも通じます。

さらに、とても大事なことがあります。それは自らを奮い起こした後の良運起動装置が、ほとんどの人にないのです。
どんなに奮い立っても、上手く行かない場合が多いのです。なぜ上手く行かないのか?それこそ運とか、ツキが全てを因縁し作用するからです。理不尽で歯がゆく、納得できない事象です。

時間の歪みを生じさせ、良運良縁を導くもの、それがお守りであり霊符です。思いを馳せた(祈った)わずかな時間が、結果を良とするのです。

良運、願望を実現する手段や方法として、人間は太古の昔から色々な呪術等を考え編み出してきました。日本においては道教、密教、修験道、陰陽道など色々な教えの中からお互いに影響し合い発展させてきた形が、現在に残っている霊符やお守り類なのです。古色蒼然(長い年月が過ぎて、ひどく古びているように見えること。 いかにも古めかしいようす)に思われる方もいるとは思われますが、残っているのが現実です。何かしらの効能効果なくして、現代まで伝わるはずが無いのです。当山お守り神社と縁があった方は、脱不幸への足掛かりや知識を得たと考えお守りを活用してみることです。

 

呪術には言葉によるもの、印を指で結んだり肉体を使って行うものなど様々ですが、当山お守り神社では霊符を願望達成起動装置として推奨しております。
霊符の呼び名は、護符、神符、呪符、お札、御符など様々あります。中国、道教影響下の霊符が多種多様で、数も多いのが現状です。

古代の神仙達が宇宙と大地から導かれた象意を写し取ったこの霊符は、意味の解らない文字や図形のオンパレードですが、その一つ一つには深遠な意味があるのです。仏画の曼陀羅(マンダラ)が視覚を通じ、宇宙の真理を表現しているのに似ています。描かれた文字や図形が天(宇宙)、地、人で共鳴共振して不可思議パワーを与えてくれるのです。

この脱不幸、願望達成起動装置を使わないのは誠に勿体ないことです。使用方法は様々な場所に貼ったり、呑んだりと色々ですが、当山お守り神社で扱う霊符は身につけるものがほとんどです。

天災から人災、病魔、祟りなどありとあらゆる災いから身を守ってくれるこの霊符を用いて脱不幸を実現し、幸せで意味ある人生を歩みましょう。
 

PICK UP ITEMピックアップ商品

もっと見る

最近チェックした商品

最近チェックした商品はまだありません。